Recollection


遠い記憶、忘れられた風景

撮影の旅を終えて 回想の断片

遠出の時はいつも、深夜まだ暗いうちに出発するのが恒だった。カメラとパソコンと、必要最小限の見回り品だけを積込み、車で走り出す。 これから対峙するだろう被写体への想いで、気分が高揚する瞬間で、 満天の星空の時は、その豪華絢爛の花添えを見上げ、旅の好成績を願う。

 

長距離・長時間の運転はきつく感じることも多いが、 

徐々に白む空の下で、

春は冬枯れの原野から変わろうとする全ての生命、 

夏は北海道の萌える緑と早朝の冷たく爽やかな外気、

秋は刻々と散りゆく山野の移ろい、

そして迎える冬を 感じながら車を走らせる。それは心地よく、また楽しい時間であった。

 

目的地に着く頃には明るくなり撮影を始めるが、朝と夕の光りがベストなのは、

ほかの多くの撮影と同じなのかもしれない。  

刹那の時間は慌ただしく、陽の高い日中は確かめるように写し、そして次へと向かう。

 

          ◇

 

 モノクロフィルムを使っていた1996年から、

 この北海道の産業遺産・廃墟を巡る旅は始まった。

 1年に1~3度、道東・道北・道央、

 そして道南と撮影するだけの旅。

 ただ時には列車に揺られ過ごし、また温泉で疲れを癒したりと、

 のんびりしたものであった。

 途中、急速に進むカメラのデジタル化に足踏みをする。

 まだまだ全体が見えてない頃で、

 3年ほどカメラを向けることをしなかった。

 

 思考の迷走から2006年に抜け出し、

 撮り直しが出来ないものがあっても、デジタルで撮ることに決め

 そして新たな旅と、再訪の旅が始まった。

          ◇ 

 

 気づけば15年の歳月が流れた。

 

 ただのブームだったいわゆる『廃墟写真』も、

 数々の写真家による幾多の作品の流布により、

 市民権を持ち始める。

 それは『産業遺産』という言葉ができ、

 観光の一角として認識されていることでも確認できる。

 

以前、炭鉱や鉱山跡を訪れ、廃線を歩きカメラを向ける行為は、

好奇の眼差しで見られたものだが、

近年の変化は著しく、連休ともなれば人出があり、

先客そして帰り際、私に続くカメラマン・探訪者に

出遭うこともある。

 

それに世はフィルムからデジタルとなり、

産業遺産・廃墟を写真展や写真集で見る時代から、

自分で出向き触れ、より多くが

自ら写真を撮るようにもなっている。

好いにしろ悪いにしろ、明らかに変わってしまったのだ。 

 

その流れの中で、私は何を成し得たのだろうか…

Update: 2013.10.22

※1996年に始まったこの撮影の旅は、2011年で一応の終わりを迎えました。

                  北海道の東端・根室市をベース(居住中)に巡る長い旅であった。

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